『ぼくのお日さま』は、フィギュアスケートを通して少年少女の成長や心の変化を描いた、静かで繊細な人間ドラマだ。本作は、スケートリンクに差し込む光や凍った湖の情景を巧みに活かし、映像美とともに感情の機微を映し出している。
タクヤ、さくら、そしてコーチの荒川の関係性が、時に温かく、時に切なく交錯する本作。吃音を持つタクヤがフィギュアスケートに魅了され、新しい世界へ踏み出す姿が描かれる一方で、時代の価値観や偏見が彼らの行く手を阻む要素として影を落とす。1996年という時代背景が、この物語により深い意味を持たせている点にも注目したい。
光と影、沈黙と動き、そして言葉にならない感情が交差する本作の魅力を、考察を交えながら深掘りしていく。
<ぼくのお日さま 予告編>
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『ぼくのお日さま』の内容考察
考察ポイント1:『ぼくのお日さま』が示す象徴とテーマ
タイトル『ぼくのお日さま』の意味
『ぼくのお日さま』というタイトルには、物語全体を貫く象徴的な意味が込められている。まず「お日さま」は、タクヤにとっての憧れや希望を指し示している。彼はスケートリンクで輝くさくらの姿に惹かれ、彼女のように滑りたいという気持ちを抱く。さくらはタクヤにとってまさに「光」のような存在であり、彼の世界を明るく照らしていた。
また、荒川にとっても「お日さま」は特別な意味を持つ。彼はタクヤの姿にかつての自分を重ね、彼を導くことで自身の過去と向き合おうとする。そして、荒川自身がタクヤの「お日さま」のような存在となり、彼にとっての新たな世界を開く役割を担う。
さらに、「お日さま」という言葉には、時間の移り変わりや成長の象徴としての側面もある。映画では冬から春へと季節が変わることで、登場人物たちの関係や心情にも変化が訪れる。特にラストシーンでは、タクヤとさくらが再会し、新たな関係を築いていく可能性を感じさせるが、それはまるで再び昇る太陽のように、未来への希望を示唆している。
タイトル『ぼくのお日さま』には、キャラクターそれぞれが抱く憧れや希望、成長、そして時間の流れといった多層的な意味が込められており、本作をより深く理解するための鍵となっている。
映像演出における「光」と「影」
『ぼくのお日さま』では、光と影の対比が映像表現の大きな特徴となっている。特にスケートリンクに差し込む光は、登場人物たちの心情と密接に結びついている。タクヤが初めてさくらの演技を目にする場面では、窓から差し込む自然光がリンクを優しく照らし、彼の憧れと新たな世界への扉が開く瞬間を象徴している。
また、氷上での練習シーンでは、キャラクターたちの心の距離感や変化を表すために、影が巧みに使われている。たとえば、タクヤとさくらがペアとして息を合わせて滑る場面では、二人の影がひとつになるように演出され、互いの関係が深まっていくことを示唆している。一方で、さくらが荒川の真実を知った後のシーンでは、影の部分が際立ち、彼女の葛藤や距離感を映像として表現している。
特に印象的なのは、凍った湖でのシーンだ。冬の澄んだ陽光が降り注ぎ、タクヤ、さくら、荒川の3人が無邪気に滑る様子は、多幸感に満ちたひとときとして描かれている。しかし、その後の展開で関係が崩れた後は、室内での暗いトーンが増え、光の使い方が変化することで、物語の転換点を視覚的に伝えている。
ラストシーンでは、再び光が重要な意味を持つ。春の訪れとともにタクヤとさくらが再会する場面では、明るい日差しの中で2人が映し出され、わだかまりを解いて新たな関係が始まることを示唆している。このように、『ぼくのお日さま』では、光と影を巧みに使いながら登場人物たちの心情の変化を映し出しており、視覚的な美しさとストーリーの深みが融合した演出となっている。
主要キャラクターの関係性
物語の中心となるのは、小学生のタクヤ、中学生のさくら、そして彼らのコーチである荒川の3人だ。それぞれの関係性が物語の進行とともに変化し、繊細な心の機微が描かれる。
タクヤは吃音を抱える少年で、アイスホッケーをしながらもフィギュアスケートに興味を持つ。スケートリンクで華麗に舞うさくらに憧れを抱き、彼女とペアを組んでアイスダンスを始めることになる。タクヤにとってさくらは憧れの存在であり、フィギュアを始めるきっかけとなった特別な相手だ。
さくらはフィギュアスケートに真剣に打ち込んでいるが、荒川の勧めでタクヤとアイスダンスのペアを組む。しかし、彼女の中には荒川への憧れもあり、彼に対する特別な感情を抱くようになる。だが、ある出来事をきっかけに荒川に対して強い嫌悪感を持ち、タクヤとの関係にも影を落とすことになる。
荒川は元フィギュアスケート選手であり、現在はコーチとしてタクヤとさくらを指導する。彼はタクヤのフィギュアへの興味を見抜き、自身のスケート靴を貸すなどして導いていく。タクヤに対する接し方は非常に優しく、彼自身の過去の経験と重ねていることが伺える。また、同性愛者であり、恋人の五十嵐と静かに暮らしているが、その事実がさくらに知られることで、物語は大きく動く。
この3人の関係性は、フィギュアスケートを通じて深まりながらも、ある瞬間に大きな亀裂が生じる。特に、さくらが荒川の秘密を知ったことで生じた誤解と対立は、映画のクライマックスへと繋がる重要な要素となっている。そして最終的に、時間の経過とともにタクヤとさくらは再び交わるが、その関係がどのように変化していくのかは観客に委ねられている。
考察ポイント2:時代背景が物語に与える影響
1996年という時代設定の意図
『ぼくのお日さま』の物語は1996年に設定されており、この時代背景が作品のテーマやキャラクターの行動に大きな影響を与えている。
まず、フィギュアスケートに対する社会の認識が現代とは異なっていた点が重要だ。特に男子選手の競技人口は今よりも少なく、日本ではフィギュアスケートは女性の競技というイメージが強かった。そのため、タクヤがフィギュアスケートに興味を持ち、アイスダンスを始めることに対する周囲の反応には、当時の価値観が反映されている。2000年代に入ると高橋大輔や織田信成などの選手が活躍し、男子フィギュアの人気が高まっていくが、90年代半ばではまだ一般的ではなかった。
また、同性愛に対する社会の認識も現在とは異なっていた。荒川は同性愛者であり、恋人の五十嵐と暮らしているが、90年代の日本ではLGBTQ+への理解が今ほど進んでおらず、偏見が根強かった。この時代背景が、さくらが荒川に対して抱いた嫌悪感や戸惑いの感情をよりリアルにしている。2006年に『ブロークバック・マウンテン』が公開され、LGBTQ+をテーマにした映画が社会的に注目されるようになるが、それよりも10年ほど前の設定であることで、偏見や差別がより色濃く残っている時代として描かれている。
時代設定を1996年にしたもう一つの理由として、監督の奥山大史自身の生まれた年である点も関係している。映画内で荒川の部屋に映るカレンダーや、スケートリンクの事務室のカレンダーの曜日の並びからも、物語がうるう年である1996年であることが特定できる。この時代設定によって、タクヤとさくらの関係や、荒川が直面する社会的な壁が、よりリアリティを持って観客に伝わるようになっている。
1996年という時代背景を丁寧に描くことで、タクヤの成長やさくらの葛藤、荒川の孤独感がより深く伝わる作品となっている。
LGBTQ+に対する社会の価値観の変遷
1990年代の日本において、LGBTQ+に対する理解は現在ほど進んでいなかった。特に地方都市では、同性愛やジェンダーの多様性について公に語ることが少なく、偏見や誤解が根強く残っていた。
荒川は同性愛者として描かれており、恋人の五十嵐と静かに暮らしている。しかし、彼のセクシュアリティは周囲に広く知られているわけではなく、彼自身も慎重に振る舞っていることが伺える。そんな中で、さくらが彼のパートナーとのやり取りを目撃し、それがきっかけで彼女の中に拒絶感が生まれる。この反応は、1990年代の社会的な価値観を反映しており、当時の一般的な認識として「同性愛は異質なもの」という考えがあったことを示唆している。
さくらの嫌悪感は、彼女自身が持っていた価値観や、母親の影響を受けて形成されたものと考えられる。特に、母親が同性愛者に対して嫌悪感を持っていることがセリフの端々から伺え、それがさくらの反応にも影響を与えたことは明白だ。このような価値観は、当時の社会では特に珍しいものではなく、多くの家庭や教育の場で無意識に根付いていた。
また、2000年代に入るとLGBTQ+への理解が徐々に広がり、2006年には『ブロークバック・マウンテン』が公開されるなど、映画界でも同性愛をテーマにした作品が評価されるようになった。しかし、『ぼくのお日さま』が描く1996年の社会では、まだそれが一般的な理解を得るには時間がかかる時代だった。
荒川の存在や彼の選択、さくらの反応は、その時代のLGBTQ+に対する認識の変遷を映し出している。彼のキャラクターを通じて、当時の社会における偏見や、個人がそれにどう向き合うのかというテーマが浮かび上がってくる。
フィギュアスケートを取り巻く環境
1990年代の日本において、フィギュアスケートは主に女子の競技として認識されていた。男子選手の数は現在よりも少なく、フィギュアスケートを習う少年は周囲から珍しがられたり、時には偏見の目で見られることもあった。タクヤがフィギュアスケートに興味を持ち、アイスダンスに挑戦することへの周囲の反応には、当時の社会的な背景が色濃く反映されている。
また、日本のフィギュアスケート界では、2000年代以降に高橋大輔や羽生結弦といった選手が活躍し、男子フィギュアの人気が高まっていったが、1990年代半ばの時点ではまだその認識は広がっていなかった。男子選手の競技人口が少ないこともあり、特にアイスダンスのようなペア競技では、男子選手が不足しがちだった。
タクヤがフィギュアスケートを始めたことで直面する障害の一つが、こうした社会的な認識だった。アイスホッケーをしていた彼が、華麗な演技をするさくらに憧れ、フィギュアスケートに転向する過程には、彼自身の挑戦だけでなく、周囲の視線や価値観との対峙も含まれている。そのため、彼の成長の過程には、スケート技術の向上だけでなく、自分自身の選択を貫く強さが求められた。
また、コーチである荒川もかつてフィギュアスケート選手として競技をしていたが、彼のキャリアにも当時の男子フィギュアを取り巻く環境が影響していた可能性がある。彼がタクヤに対して特別な興味を持ち、スケートを教えることに熱心になるのは、自分自身の経験を重ね合わせているからかもしれない。
映画の中では、タクヤがアイスダンスに挑戦することに対して、さまざまな反応が描かれている。それは単なる個人の挑戦ではなく、当時の社会におけるフィギュアスケートの立ち位置や、男子選手に対する価値観がどのようなものだったのかを浮かび上がらせる要素となっている。
『ぼくのお日さま』はこんな人におすすめ
フィギュアスケートを題材にした作品が好きな人
『ぼくのお日さま』は、フィギュアスケートをテーマにした作品が好きな人にとって、特別な魅力を持つ映画だ。フィギュアスケートが単なる競技ではなく、登場人物たちの成長や心情の変化を象徴する要素として機能している。
物語の中心には、アイスホッケーをしていたタクヤが、さくらのフィギュアスケートに魅了され、彼女とペアを組んでアイスダンスに挑戦する過程が描かれる。氷上での練習シーンは、フィギュアスケートの美しさや技術だけでなく、ペアで滑ることの難しさや信頼関係の重要性を映し出している。
また、実際のスケート撮影において、奥山監督自身がスケート靴を履いてカメラを回したことで、臨場感あふれる映像が生み出されている。氷上を滑るカメラワークによって、観客はまるで自分もスケートをしているかのような没入感を味わうことができる。
さらに、実在のスケートリンクを舞台にした撮影や、リアルな練習風景が映し出されることで、スケートという競技そのものの魅力も存分に伝わる。フィギュアスケートが好きな人にとって、本作は技術的な面だけでなく、スポーツの持つドラマ性や、競技に取り組む人々の葛藤や喜びを感じ取ることができる作品となっている。
静かで繊細な人間ドラマを求めている人
『ぼくのお日さま』は、大きな事件や劇的な展開ではなく、登場人物たちの細やかな心の動きを描く作品だ。タクヤ、さくら、荒川の3人の関係性が繊細に変化していく様子が、静かな映像美とともに表現されている。
この映画では、言葉で語られるよりも、表情や仕草、沈黙の間に込められた感情が観客に伝わるような演出が特徴的だ。特に、タクヤが吃音を抱えていることもあり、会話の少なさが逆にキャラクターの心理を深く映し出している。また、荒川の優しさや苦悩、さくらの戸惑いなど、それぞれの心情が映像のトーンや光の使い方によって繊細に表現されている。
このような作風は、過度な説明や感情の爆発ではなく、じわじわと観客の心に染み込んでくる。冬の静かな雪景色や氷上の光の揺らめき、そして登場人物たちのさりげない仕草が、物語に深みを与えている。
登場人物が成長し、互いに影響を与えながらも、大きな決着がつくわけではない。その余韻こそが、この映画の魅力のひとつだ。繊細な心理描写や、静かに積み重ねられる感情の変化に魅力を感じる人にとって、特に響く作品となっている。
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『ぼくのお日さま』作品情報
解説・あらすじ
「僕はイエス様が嫌い」で第66回サンセバスチャン国際映画祭の最優秀新人監督賞を受賞した奥山大史が監督・脚本・撮影・編集を手がけ、池松壮亮を主演に迎えて撮りあげた商業映画デビュー作。
雪の降る田舎町。ホッケーが苦手なきつ音の少年タクヤは、ドビュッシーの曲「月の光」に合わせてフィギュアスケートを練習する少女さくらに心を奪われる。ある日、さくらのコーチを務める元フィギュアスケート選手の荒川は、ホッケー靴のままフィギュアのステップを真似して何度も転ぶタクヤの姿を目にする。タクヤの恋を応援しようと決めた荒川は、彼にフィギュア用のスケート靴を貸して練習につきあうことに。やがて荒川の提案で、タクヤとさくらはペアでアイスダンスの練習を始めることになり……。
池松がコーチの荒川役を務め、テレビドラマ「天狗の台所」の越山敬達がタクヤ、アイスダンス経験者で本作が演技デビューとなる中西希亜良がさくらを演じた。主題歌は音楽デュオ「ハンバート ハンバート」が2014年に手がけた同名楽曲。2024年・第77回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に、日本人監督としては史上最年少で選出された。2024年製作/90分/G/日本
配給:東京テアトル
劇場公開日:2024年9月13日
みどころ
『ぼくのお日さま』の見どころは、繊細な映像美と心の機微を丁寧に描いたストーリーテリングにある。光と影を巧みに活用した撮影は、登場人物の感情の変化を視覚的に伝え、観客を物語の世界へと引き込む。
特にスケートシーンの美しさは圧巻だ。監督自身がスケート靴を履いて撮影したことで、リンク上を滑る臨場感あふれるカメラワークが生まれた。氷の上での動きが自然に映し出され、まるで観客自身がスケートをしているかのような没入感を味わえる。
また、キャラクター同士の微妙な関係性や成長が描かれている点も見逃せない。タクヤ、さくら、荒川の三者の間で揺れ動く感情は、直接的なセリフではなく、視線や表情、仕草を通じて巧みに表現されている。特に、さくらが荒川の秘密を知り、そこから生まれる葛藤がどのように描かれるのかが本作の大きなポイントの一つだ。
さらに、音楽の使い方も見どころの一つ。主題歌「ぼくのお日さま」は、映画のテーマを象徴するような温かくも切ないメロディで、エンドロールの演出と相まって強い余韻を残す。劇中音楽もまた、静かなピアノやギターの旋律が物語の雰囲気をさらに引き立てている。
映像美、繊細な心理描写、そして音楽が融合することで生まれる独特の空気感が、『ぼくのお日さま』を特別な作品にしている。
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まとめ
『ぼくのお日さま』は、フィギュアスケートを題材にしながらも、登場人物の繊細な心の動きを描いた作品だ。タクヤ、さくら、荒川の3人が氷上で紡ぐ関係は、美しくも儚い。そして、その背景にある時代の価値観や社会の空気が、彼らの運命を静かに変えていく。
映像美や光と影の演出によって、物語の感情が視覚的に表現され、観客の心にじわりと染み込む。特に、スケートリンクや湖上でのシーンでは、登場人物たちの想いが氷の上に刻まれるような印象を残す。
また、1996年という時代設定が、フィギュアスケートやLGBTQ+に対する社会の認識を映し出している点も興味深い。キャラクターたちは、それぞれが抱える葛藤を乗り越えようともがき、成長していく。その過程が繊細に描かれることで、観る者の心を揺さぶる。
フィギュアスケートや人間ドラマが好きな人はもちろん、静かで味わい深い映画を求める人にもおすすめの一本だ。余韻の残るラストシーンをどう解釈するかは、観客に委ねられている。それぞれの「お日さま」を見つけるために、この映画を観てほしい。
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