【映画】どうすればよかったか? を深掘り考察|統合失調症と25年の家族の選択とは?※ネタバレあり

アフィリエイト広告を利用しています

映画『どうすればよかったか?』は、監督自身の家族にカメラを向けた衝撃のドキュメンタリー。統合失調症を患った姉と、それを“見なかったこと”にしてきた両親。25年にもおよぶ「家族の沈黙」と、その中で歪んでいった日常を、弟である監督が記録し、問いかけた。「どうすればよかったのか?」というタイトルは、過去を責めるだけでなく、今とこれからの私たちに突きつけられる深い問いでもある。本記事では、その内容と考察を掘り下げていく。

<どうすればよかったか? 予告編>

 

leonson_246

いつでもどこでも手軽に見れるにゃ!

配信サービス 情報
U-NEXT 見放題作品数NO.1の動画サービス! 31日間無料トライアル実施中!
2,189円(税込)/月&毎月1,200円分のポイント付与で原作マンガ・書籍も読める
⇒今すぐ登録する
Amazon Prime Video Amazonプライム会員なら対象の映画・TV番組が見放題!!
月額600円(税込)
⇒今すぐ登録する
スマイLINK TV Stick × Netflix!今なら2か月無料!
⇒今すぐ登録する
2022MLB オリジナルエピソード数が国内発動画サービスNo.1!!580円/月のお得プランも
⇒今すぐ登録する

 

 

『どうすればよかったか?』の内容考察

考察ポイント1:家族の“沈黙”と“正常性バイアス”

精神疾患に対する偏見と時代背景

1980年代に統合失調症を発症した姉に対し、家族は長らく精神医療へのアクセスを拒んできた。その背景には、当時の精神疾患に対する強い偏見が影を落としている。特に「精神分裂病」と呼ばれていた当時は、病名そのものが差別的なニュアンスを含んでおり、社会的スティグマが根強かった。

医療関係者である両親にとっても、「娘が精神病である」という事実は受け入れがたく、むしろ「娘は優秀でまともだ」という物語を守ることに固執してしまった。そのため、症状が現れても一時的なものと捉え、現実から目を背け続けるという「正常性バイアス」が働いてしまったのだ。

こうした偏見と価値観の中で、娘の異常行動は家族内で“なかったこと”にされ、医療からも社会からも切り離される。その結果、20年以上にわたる「家庭内監禁」のような生活が続くことになる。この構図は、当時の日本社会全体が抱えていた精神疾患への無理解と差別感情を、家族という最も近い共同体のなかで如実に示している。

家族という共同体の限界と危うさ

家族という共同体は、最も信頼できるはずの場所でありながら、時として“閉じた空間”にもなり得る。今回のケースでは、娘の異常が「家の中の問題」とされ、外部との接点を意図的に遮断することで、状況は長期化・深刻化していった。

父も母も共に高学歴で、医学や研究の世界に長年身を置いていたがゆえに、自分たちの判断や価値観を絶対視する傾向が強かった。医療従事者であるにもかかわらず、精神疾患に対しての理解や受容は薄く、「まともである」という幻想を支え合うかのように振る舞い続けた。

家族間での本音の対話がなされず、問題の核心から目を背けたまま、20年以上の時間が流れていく。その沈黙は、一見「平穏」とも取れる日常を作り出すが、それこそがこの家族の“危うさ”を物語っている。家族であるがゆえに、相互に遠慮し、見て見ぬふりをすることが、時に状況を悪化させてしまう。家族という枠組みの中で何も起きないように見えることが、実は最も深刻な問題の証なのだ。

「座敷牢」としての日常化された異常

“座敷牢”という言葉は、かつて日本で精神疾患を持つ家族を自宅内で隔離・監禁していた慣習を象徴するものだが、この映画が映し出す家の様子は、まさにその現代版とも言える。

玄関には南京錠が取り付けられ、外との接触を断つ構造が物理的にも精神的にも完成されていた。家族は「彼女は医師になるために今も勉強している」と現実逃避的な物語を信じ込み、異常な状態が“日常”として受け入れられていく。この異常がゆっくりと積み重なる様子は、傍から見ると恐ろしいが、当人たちにとっては「安定した生活」とすら感じられていた可能性がある。

異変を異変と認識しなくなる感覚の鈍化──つまり“麻痺”が、家庭という閉ざされた空間で進行していくのだ。このような“座敷牢”は、暴力的な拘束を伴わずとも、精神的な無関心や自己正当化によって、簡単に再現されてしまう。その根本には、「見たくないものは見ない」「異常を認めたくない」という心理的メカニズムが潜んでいる。

この日常化された異常は、監督である弟の目を通してようやく社会に晒されることとなったが、同様の“見えない座敷牢”は、現代でも至るところに存在しているのかもしれない。

考察ポイント2:監督=弟の視点と“告発”の意味

撮影者であり当事者である監督の葛藤

藤野監督は単なる観察者ではない。彼はこの複雑な家族の一員であり、姉の病を「目撃し続けた弟」でもある。子ども時代には、異変を起こす姉とそれを受け入れる両親の狭間で、自身も深く傷つき、大学進学を機に家を離れることで「逃げ出した」過去がある。

その後、映像の道に進んだ彼は、カメラを手にして再び家族に向き合うことを選んだ。撮影行為は記録というだけでなく、彼にとって“対話”の代替手段でもあった。両親と姉に直接言葉で訴えることが難しいからこそ、レンズ越しに心の叫びを伝えようとしたのかもしれない。

しかし、カメラを向けることはときに家族の感情を刺激し、特に姉の症状を不安定にさせる場面もあった。それでも彼は撮影を止めず、時に問い詰め、時に見守りながら、20年以上にわたる家族の歴史を記録し続けた。

この行為自体に揺れる気持ちがあったことは明らかだ。家族の“真実”を明らかにすることが誰かを傷つけると分かっていながら、それでもやらねばならないという覚悟。それが、監督としての使命であると同時に、一人の弟としての“贖罪”でもあった。

ドキュメンタリーによる家族関係の揺さぶり

カメラを回すという行為は、家庭における“日常”を記録する一方で、その空気を明らかに変えてしまう力を持つ。監督が家族にレンズを向けることで、穏やかに保たれていたバランスが徐々に揺らぎはじめる。

母は、撮影されることで防衛的になり、父は監督からの問いかけに対して表情を曇らせる場面も見られた。姉に対しても、質問の内容や撮影のタイミングが症状のトリガーとなる場面があったと言われており、カメラという“目”がもたらす影響は決して小さくない。

一方で、姉が徐々に言葉を取り戻し、ポーズをとったりピースサインを見せるようになる過程には、弟との関係が支えとなっていた可能性もある。撮影がもたらした“揺さぶり”は、決して破壊だけでなく、新たな関係性のきっかけでもあった。

このように、ドキュメンタリーという形式そのものが、家族内の関係性を変容させていく。撮ることで可視化され、可視化されることで問い直される。映像という手段がもつ“記録”と“介入”の二面性が、家族という閉鎖空間に大きな波紋を広げていった。

「復讐」か「供養」か──作品に込められた意図

この作品には、両親への告発的な視線と同時に、姉への深い哀悼の念が込められているように感じられる。監督がレンズを通して描いたのは、決して単なる非難や怒りの記録ではない。25年以上にわたって治療を受けさせてもらえなかった姉の人生。その長い沈黙と隔離に対する“問いかけ”が、映画というかたちを取って社会に投げかけられた。

父に対して「どうすればよかったと思うか」と問いかける場面は、観客にとっても重いものだ。この質問には“自分が正しかったのか?”という確認と、“自分たちはどこで間違えたのか”という後悔がないまぜになっている。観る側は、監督が家族の名誉を傷つけてまでもこの映画を完成させた理由を、そこに感じ取ることになる。

また、姉の亡骸に寄り添うように論文や占星術の道具が棺に入れられる描写は、彼女の過去と向き合う“供養”の象徴とも言える。監督は姉の「生きた証」を社会に届けることで、過ちの歴史を明るみに出しつつも、その人生を否定するのではなく“記憶にとどめる”という選択をしている。

この映画に込められた意図は、“復讐”という単なる怒りの発露ではなく、“供養”という複雑な愛情と喪失の昇華なのだと受け取るべきだろう。

 

『どうすればよかったか?』はこんな人におすすめ

家族・精神疾患のテーマに関心がある人

家庭内での精神疾患の扱いや、それに対する家族の向き合い方に関心のある方にとって、この映画は非常に示唆に富んでいる。家族の絆と葛藤、無理解と愛情が交錯するなかで、どのように“正解のない問い”と向き合っていくかが丁寧に描かれている。

精神疾患に限らず、家族の中に問題が生じた際、誰がその問題に気づき、誰が声を上げ、どう行動すべきかというテーマは、決して他人事ではない。特に、「異変をどう受け止めるか」「治療を選ぶかどうか」といった現実的な問題は、多くの家庭に共通する普遍的な悩みだ。

この映画は、当事者でない人にとっても“心の準備”としての気づきを与えてくれる。家族のなかに問題を抱えることの意味、支える側の限界と葛藤、そして“支えることのむずかしさ”に光を当てるドキュメンタリーとなっている。

ドキュメンタリー映画で心を揺さぶられたい人

感情を強く揺さぶられるような作品を探している人にとって、この映画はまさに心を打つ一作になる。姉の病状が進行する20年以上のあいだに、家族の誰もが「正しいこと」と信じてきた価値観が、少しずつ崩れていく過程が記録されており、それを静かに見守るカメラの存在が、観客の胸にも静かに問いを投げかけてくる。

たとえば、治療を受けさせなかった両親の態度に怒りを感じる一方で、彼らなりの“信念”や“愛情”を垣間見たとき、感情は複雑に揺れ動く。さらに、亡くなる直前に姉が笑い、弟と会話し、穏やかな時間を取り戻していく姿には、多くの観客が涙を誘われた。

この作品は、衝撃的な事件や急展開で感情を煽るようなドキュメンタリーとは違う。むしろ、じわじわと胸を締めつけるような苦しさや哀しさ、そしてかすかな希望が、日常の風景のなかに静かに潜んでいる。人の心の深部を優しく、しかし確実に揺らす力をもつ作品を求めている人に、強くおすすめしたい。

 

leonson_246

いつでもどこでも手軽に見れるにゃ!

配信サービス 情報
U-NEXT 見放題作品数NO.1の動画サービス! 31日間無料トライアル実施中!
2,189円(税込)/月&毎月1,200円分のポイント付与で原作マンガ・書籍も読める
⇒今すぐ登録する
Amazon Prime Video Amazonプライム会員なら対象の映画・TV番組が見放題!!
月額600円(税込)
⇒今すぐ登録する
スマイLINK TV Stick × Netflix!今なら2か月無料!
⇒今すぐ登録する
2022MLB オリジナルエピソード数が国内発動画サービスNo.1!!580円/月のお得プランも
⇒今すぐ登録する

 

 

『どうすればよかったか?』作品情報

解説・あらすじ

ドキュメンタリー監督の藤野知明が、統合失調症の症状が現れた姉と、彼女を精神科の受診から遠ざけた両親の姿を20年にわたって自ら記録したドキュメンタリー。

面倒見がよく優秀な8歳上の姉。両親の影響から医師を目指して医学部に進学した彼女が、ある日突然、事実とは思えないことを叫びだした。統合失調症が疑われたが、医師で研究者でもある父と母は病気だと認めず、精神科の受診から彼女を遠ざける。その判断に疑問を感じた藤野監督は両親を説得するものの解決には至らず、わだかまりを抱えたまま実家を離れる。

姉の発症から18年後、映像制作を学んだ藤野監督は帰省するたびに家族の様子を記録するように。一家全員での外出や食卓の風景にカメラを向けながら両親と対話を重ね、姉に声をかけ続けるが、状況はさらに悪化。ついに両親は玄関に鎖と南京錠をかけて姉を閉じ込めるようになってしまう。

2024年製作/101分/G/日本
配給:東風
劇場公開日:2024年12月7日

みどころ

『どうすればよかったか?』の魅力は、単なる“問題提起”にとどまらず、観客に深い自問を促すその構造にある。家族の内側にある複雑な感情、社会の無関心、精神疾患に対する根深い偏見――それらが淡々と、しかし鋭く切り取られている。

姉が徐々に「人としての輪郭」を取り戻していく過程や、家族の力学が時間とともに変化していく様子は見逃せないポイント。特に、症状の改善後に姉が見せるピースサインや表情の変化は、ほんのささいな仕草であっても、そこに詰まった意味がとてつもなく重く、観る者の心に深く残る。

また、監督自身の立ち位置――撮影者であり、弟であり、家族の一員としての視点――も作品の奥行きを深めている。カメラを通して家族に向き合うという行為が、どれほどの覚悟と葛藤に満ちたものであるかが静かに伝わってくる。

そして、ドキュメンタリーであるにも関わらず、まるで一本のドラマを見ているかのような“物語性”も特筆すべき点だ。事実を記録するだけでなく、そこに人生の機微や人間の弱さ、そして希望のかけらまでもが映し出されている。

 

leonson_246

いつでもどこでも手軽に見れるにゃ!

配信サービス 情報
U-NEXT 見放題作品数NO.1の動画サービス! 31日間無料トライアル実施中!
2,189円(税込)/月&毎月1,200円分のポイント付与で原作マンガ・書籍も読める
⇒今すぐ登録する
Amazon Prime Video Amazonプライム会員なら対象の映画・TV番組が見放題!!
月額600円(税込)
⇒今すぐ登録する
スマイLINK TV Stick × Netflix!今なら2か月無料!
⇒今すぐ登録する
2022MLB オリジナルエピソード数が国内発動画サービスNo.1!!580円/月のお得プランも
⇒今すぐ登録する

 

 

まとめ

『どうすればよかったか?』は、家族という最小単位の社会のなかで、精神疾患という“見えづらい問題”にどう向き合うかを私たちに問いかける作品だ。単なるドキュメンタリーではなく、撮影者である監督自身が当事者であり、弟としての苦悩や葛藤がリアルににじみ出る構成になっている。

長年にわたる“家庭内の沈黙”や“正常性バイアス”によって固定された環境は、社会が抱えるスティグマの縮図とも言える。一方で、カメラというメディアがその沈黙を破り、語られなかった声に光を当てる手段となることもまた、強く印象に残る。

観る人の立場によって受け取り方はさまざまだが、この映画が私たちに残す問いは一つ──「あなたなら、どうすればよかったと思うか?」。その問いを自分ごととして考えることこそが、この作品が持つ本当の価値なのかもしれない。

▼▼▼同時期公開・上映の映画たち▼▼▼

【映画】型破りな教室 内容解説&考察|実話に基づく感動の教育映画が問いかける“学び”の本質とは?

【映画】モアナと伝説の海2 内容考察|モアナの旅に隠された意味と続編への伏線とは?

【映画】クレイヴン・ザ・ハンター 内容考察|ヴィランの内面に迫るダークヒーロー映画の真髄とは?

【映画】ライオン・キング ムファサ 内容考察|スカー誕生の真実とムファサの王たる資質を読み解く

【映画】【推しの子】The Final Act 徹底考察|ラストシーンの意味と“15年の嘘”に込められた真実とは?

【映画】私にふさわしいホテル 徹底考察|ラストシーンの意味を深掘り解説

【映画】聖☆おにいさん ホーリーメンVS悪魔軍団 を徹底考察|原作ファンが感じたギャップの正体

【映画】劇場版ドクターX FINAL 考察|「私、失敗しないので」の本当の意味とは?

【映画】グランメゾン・パリ 内容考察|尾花夏樹の再挑戦とフランス三つ星のリアルとは?

【映画】はたらく細胞 実写版を徹底考察|感動と学びが詰まった体内ドラマの魅力とは?

コメント