『ウィキッド ふたりの魔女』は、『オズの魔法使い』の裏側を描いたもうひとつの物語。緑の肌を持つ“悪い魔女”エルファバと、“善い魔女”グリンダの友情と葛藤を軸に、善悪の定義や社会の偏見が問われます。本記事では、映画を観た体験をもとに、二人の魔女の心の動きや物語の裏テーマを丁寧に考察していきます。
▼ネタバレなしで見どころを知りたい方はこちら▼
【映画】ウィキッド ふたりの魔女どこで見れる?|あらすじや見どころをネタバレなしで紹介
<ウィキッド ふたりの魔女 予告編>
ウィキッド ふたりの魔女 は U-NEXT、Prime Video で配信中!!

いつでもどこでも手軽に見れるにゃ!
※ 2025年7月時点の情報です。最新の配信状況は各サイトにてご確認ください。
『ウィキッド ふたりの魔女』の内容考察
エルファバはなぜ「悪い魔女」と呼ばれるのか
差別・偏見が生んだ“悪のレッテル”
エルファバが「悪い魔女」として扱われるようになった背景には、彼女の肌の色――緑色という“異質さ”が強く影響しています。観ていて印象的だったのは、オズの国では人間と動物が共存している一方で、なぜかエルファバだけが「違う存在」として孤立していること。シズ大学に入学した直後から、彼女は周囲の生徒たちから奇異の目で見られ、父親からも妹ネッサとは明らかに異なる態度を取られて育ったことが描かれていました。
その緑の肌は、まるで“悪”の象徴として、観る者に強く刻み込まれています。ですが彼女の言動を追っていくと、決して誰かを傷つけるような人物ではなく、むしろ弱い存在――動物や差別を受ける者たちに手を差し伸べようとする姿が見えます。にもかかわらず、彼女は“悪者”として仕立て上げられていく。この構図は、外見による偏見がどれほど簡単に人を追い詰めるかを如実に表しています。
私自身、エルファバの登場シーンから強く感情移入してしまいました。彼女が“悪い魔女”と呼ばれる理由に正当性などなく、社会が抱えるルッキズムやマイノリティ排除の構造を、そのまま魔法ファンタジーに落とし込んだような描かれ方に、ただただ胸が痛くなりました。
魔法の才能ゆえの利用と裏切り
エルファバは、生まれ持った魔法の力を利用される存在として描かれていました。シズ大学の校長であるマダム・モリブルが、エルファバの能力にいち早く目をつけ、彼女を表舞台に引き上げていく過程には、一見すると“育成”のような好意があるように見えます。けれど実際には、彼女の力を政治的に利用するという思惑が隠されていました。
特に印象に残ったのは、オズの魔法使いとの対面シーン。威厳に満ちた“偉大な魔法使い”かと思いきや、実際は魔法が使えないただの人間で、魔法の力を持つエルファバを利用して支配体制を維持しようとしていたのです。その事実を知った瞬間、エルファバの落胆と怒りが伝わってきて、こちらまで裏切られた気持ちになりました。
何よりもショックだったのは、エルファバが自分の信じていた「正義」によって、逆に“悪”とされていく構図です。理不尽な支配に対して声を上げる者が、都合よく“敵”にされてしまう。彼女の魔法の力が利用され、捨てられたその瞬間こそが、「悪い魔女」が生まれた決定的な瞬間だったと感じました。
Defying Gravityに込められた反逆の決意
「Defying Gravity」の場面は、エルファバが完全に“覚醒”するシーンです。それまで誰かの期待に応えようとし、体制に迎合しようとした彼女が、ついに自分の意思でそれを否定し、自分自身を信じて飛び立つ決意を固める瞬間。まさにこの曲のタイトル通り、「重力に逆らって」生きていくという強烈な意志が込められています。
私が劇場でこのシーンを観たとき、鳥肌が立ちました。塔の上に立つエルファバが黒いマントを翻し、ホウキにまたがって空へ舞い上がる姿には、ただの“魔女”ではなく、孤高の反逆者としての誇りが滲んでいて。照明、VFX、そして圧倒的な歌唱力がひとつになって、彼女の心の叫びがダイレクトに突き刺さってきました。
印象的だったのは、あの力強い歌声が“怒り”ではなく、“自分を裏切らない”という静かな覚悟から生まれていたこと。観客の多くがこの瞬間に共感し、涙した理由は、きっと自分を信じることの難しさと、それをやり遂げた彼女の姿に勇気をもらったからではないでしょうか。
グリンダは本当に“善い魔女”なのか?
自己肯定感と承認欲求にまみれた善意
グリンダは「善い魔女」として登場しますが、その善意が常に純粋なものであるかは疑問が残ります。最初の印象は、いかにも“自分が大好き”なタイプ。見た目も言動も完璧に可愛く振る舞い、周囲からの称賛や注目を当たり前のように受け取っていました。
私が気になったのは、エルファバとの関係性の変化です。初めは彼女を見下し、冗談半分で変な帽子を押し付けたりする場面もありました。ところが、エルファバが人前で踊ったとき、彼女に歩み寄り一緒に踊ることで周囲の空気を変える…その瞬間だけを見ると“優しさ”のように見えるかもしれません。でも、それが本当にエルファバのためだったのか、あるいは「優しい自分」でいたいという承認欲求から来ていたのか、観ながら疑問が残りました。
彼女の行動は、常に“自分がどう見られるか”という軸で動いているように感じます。だからこそ、エルファバが追われる立場になっても、最後まで彼女のように真っ直ぐな反抗はできない。人気者であることを失うことが怖いから、体制に逆らえないのです。観ていて、グリンダの「善」はとても複雑で、同時にどこか痛々しくもありました。
表面的な友情と“人気者”の責任
グリンダとエルファバの関係には、常に温度差がありました。ダンスホールでの和解や、同じ部屋で過ごすうちに距離は縮まっていきますが、その背景にあるのは、グリンダの“自分がどう見られているか”という意識が強く働いていたように感じました。
例えば、エルファバが注目され始めたとき、グリンダはそれに便乗する形で「親しい友人」を演じるようになります。一見すると友情に見える行動でも、その根底にあるのは「人気者であり続けるためにはどう立ち回るべきか」という計算だったのではないかと疑ってしまいました。
また、観客が彼女の振る舞いに感じる“可愛らしさ”も、裏を返せば誰からも好かれるためのパフォーマンスのようにも見えてきます。だからこそ、エルファバが魔女として追われる立場になってから、グリンダが明確に味方に立つことができなかったのも納得がいくのです。人気者であることの責任とは、ただ人々の期待に応えることではなく、困難な時にこそ本音で誰かを支えることなのではないかと思いました。
表面的には仲良く見える二人の友情。その裏には、グリンダが抱える“選ばれし側”としての葛藤や責任逃れの姿勢が見え隠れしていて、複雑な気持ちになったのを覚えています。
権力と民意の間で揺れる立ち位置
グリンダは物語の序盤では、軽やかで社交的な“人気者”として描かれていましたが、終盤に近づくにつれ、立場の重みと責任に揺れる姿が際立っていきます。特に印象的だったのは、オズの魔法使いやマダム・モリブルといった“上”の人間たちと距離を縮める一方で、民衆の前では“善い魔女”として理想の存在を演じ続けていたことです。
観ていて感じたのは、彼女が権力側に近づけば近づくほど、自分の信念や本当の感情を押し殺しているように見えること。エルファバのように体制に反旗を翻す勇気はない。でも、心のどこかでは彼女の正しさを理解している。その板挟みの葛藤が、彼女を“善人”ではなく“傍観者”にしてしまっていたのではないでしょうか。
特にラスト近く、グリンダが群衆に囲まれながら「西の魔女が死んだ」と語る場面では、どこか虚ろな表情が印象に残りました。表向きは祝福される役割でも、その裏には“正義”を語れなかった自分への罪悪感があったのではと想像せずにいられません。グリンダというキャラクターは、民意に応えるべき象徴として祭り上げられながらも、政治の道具にされていく、非常に現実味のある存在として描かれていたと思います。
ウィキッド ふたりの魔女 は U-NEXT、Prime Video で配信中!!

いつでもどこでも手軽に見れるにゃ!
※ 2025年7月時点の情報です。最新の配信状況は各サイトにてご確認ください。
『ウィキッド ふたりの魔女』はこんな人におすすめ
人間関係の裏側に潜む“真実”を読み解きたい人
『ウィキッド ふたりの魔女』は、単なるファンタジーではなく、人間関係の表と裏を繊細に描いた作品です。エルファバとグリンダの友情のようでいて一方通行な関係性、そして善悪という価値観のあいまいさが浮き彫りになります。
特に、見た目や能力といった“違い”がどう扱われるか、権力のある者がどう正義をねじ曲げるかなど、表面の言葉や行動の裏に潜む意図や感情に敏感な人ほど、この作品の奥深さに引き込まれるはずです。
人はなぜ他人を利用し、なぜ自分を守るために誰かを切り捨てるのか。そうしたリアルな心理描写に気づけたとき、この物語はまるで現実社会の縮図のように感じられます。人付き合いや信頼に悩んだ経験がある方にこそ、心に響く内容だと思います。
社会問題や多様性に興味があるミュージカルファン
『ウィキッド』は、多様性や社会的マイノリティ、偏見の構造といった現代的なテーマを織り込んだ作品でもあります。エルファバという“緑色の肌”を持つ少女が、周囲から疎外され、権力から利用され、やがて「悪の象徴」とされてしまう展開は、差別や偏見がどのようにして生まれるのかを強烈に示しています。
また、動物たちが次第に言葉を失っていく描写には、少数派や異文化を排除していく社会の恐ろしさがにじんでいました。観ていて、“知らず知らずのうちに誰かの声を奪っていないか”と自問したくなる場面が多くありました。
そういった社会的メッセージを、あくまでエンターテインメントとして伝えてくれるのがこの作品の魅力。歌や演出に感動しながらも、後からじわじわと社会への問いかけが浮かび上がってくる構成に、ただのミュージカルとは一線を画す深みを感じました。社会のあり方や他者との共存について考えたい人に、心からおすすめできる一作です。
ウィキッド ふたりの魔女 は U-NEXT、Prime Video で配信中!!

いつでもどこでも手軽に見れるにゃ!
※ 2025年7月時点の情報です。最新の配信状況は各サイトにてご確認ください。
『ウィキッド ふたりの魔女』作品情報
解説・あらすじ
名作児童文学「オズの魔法使い」に登場する魔女たちの知られざる物語を描き、2003年の初演から20年以上にわたり愛され続ける大ヒットブロードウェイミュージカル「ウィキッド」を映画化した2部作の前編。後に「オズの魔法使い」に登場する「西の悪い魔女」となるエルファバと、「善い魔女」となるグリンダの、始まりの物語を描いたファンタジーミュージカル。
魔法と幻想の国・オズにあるシズ大学の学生として出会ったエルファバとグリンダ。緑色の肌をもち周囲から誤解されてしまうエルファバと、野心的で美しく人気者のグリンダは、寄宿舎で偶然ルームメイトになる。見た目も性格もまったく異なる2人は、最初こそ激しく衝突するが、次第に友情を深め、かけがえのない存在になっていく。しかしこの出会いが、やがてオズの国の運命を大きく変えることになる。
エルファバ役はエミー賞、グラミー賞、トニー賞でそれぞれ受賞歴を持つ実力派のシンシア・エリボ、グリンダ役はグラミー賞常連アーティストのアリアナ・グランデがそれぞれ演じた。そのほか、シズ大学の学長マダム・モリブル役に「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」のミシェル・ヨー、伝説のオズの魔法使い役に「ジュラシック・パーク」シリーズのジェフ・ゴールドブラム。監督は「イン・ザ・ハイツ」「クレイジー・リッチ!」のジョン・M・チュウ。第97回アカデミー賞では作品賞のほか、シンシア・エリボの主演女優賞、アリアナ・グランデの助演女優賞など合計10部門にノミネートされ、美術賞と衣装デザイン賞の2部門で受賞した。2024年製作/161分/G/アメリカ
原題または英題:Wicked
配給:東宝東和
劇場公開日:2025年3月7日
みどころ
本作の見どころは、何と言ってもエルファバとグリンダの心の変化を体現するミュージカルナンバーと、それを支える豪華な演出にあります。特に「Defying Gravity」のシーンは圧巻で、エルファバが天井近くまで舞い上がる演出とともに、彼女の内面の強さが視覚・聴覚の両面から観客に突き刺さります。
また、細部まで作り込まれた舞台美術や衣装も注目ポイントです。グリンダの煌びやかなドレスと、エルファバの黒を基調にした衣装の対比は、二人の生き方や価値観の違いを象徴しています。背景に広がるオズの街やエメラルドシティの眩さは、まるで絵本の中に迷い込んだかのような感覚を与えてくれました。
さらに、セリフや歌詞にちりばめられたウィットや皮肉も、作品を一層深いものにしています。笑いながらも社会への問いを投げかけてくる構成は、まさに“大人が観てこそ深く味わえるミュージカル”と言えるでしょう。
ウィキッド ふたりの魔女 は U-NEXT、Prime Video で配信中!!

いつでもどこでも手軽に見れるにゃ!
※ 2025年7月時点の情報です。最新の配信状況は各サイトにてご確認ください。
まとめ
『ウィキッド ふたりの魔女』は、善と悪、正義と偏見、そして友情と裏切りという複雑なテーマを、鮮やかな舞台と音楽で描き切った作品です。エルファバとグリンダという対照的な二人の魔女が、それぞれの信念と立場の中で選んだ道は、私たち自身の選択や価値観にも問いを投げかけてきます。
ただの“魔女の物語”ではなく、社会の縮図ともいえる構造が見え隠れするこの作品は、一度観ただけでは終わらず、観るたびに新しい気づきがあります。ストーリーの奥深さ、音楽の力強さ、舞台の華やかさ…どれを取っても一級品。
少しでも「真実は誰のものか」と考えたことがある人にとって、『ウィキッド』は忘れられない一作になるはずです。






コメント